【自作戦記】『東部戦線』第2部『バルバロッサ作戦』~プロローグ~

第二次世界大戦開戦から3ヶ月が過ぎようとしていた1939年11月30日午前6時00分、フィンランド国境に集結していたソヴィエト軍が、フィンランドへの侵攻を開始した。
ソヴィエト軍は兵員50万、装甲車両2500両、火砲2000門、航空機670機の大部隊でなだれ込み、小国フィンランドの運命は、誰の目から見ても明らかだった。
ところが・・・その大国ソヴィエトが、意外にも小国フィンランドに苦戦を強いられる。
これは、地の利を活かしたフィンランド軍の巧みな戦術と闘志、それに大粛清によるソヴィエト軍自身の弱体化が原因だった。
弱小な筈のフィンランド軍は、ソヴィエト軍に死傷者100万人という大損害を与え『雪中の奇跡』と言われたが、その抵抗も105日で潰え、1940年3月13日、フィンランドはソヴィエトに対し、国土の1/10を割譲する形で講和を結んだ。

一方西ヨーロッパでは、中欧の大国ポーランドを降したドイツ軍が今度はオランダ、ベルギー、フランス国境に大集結。
フランス軍の巨大要塞マジノ線を挟んで、『フォニー・ウォー(いかさま戦争)』と呼ばれるイギリス・フランス連合軍との不気味な睨み合い状態が続いた。
1940年4月、ドイツ軍は遂に半年にも及んだ『いかさま戦争』の沈黙を破り、北欧ノルウェーを占領。
続いて5月10日、ドイツ軍は西欧諸国への侵攻を開始した。
当初マジノ線への正面突破を行ってくるものと見ていた連合軍だが、実際にはドイツ軍はマジノ線の南側、戦車での突破は不可能と思われていたアルデンヌの森を強行突破してきた為、意表を突かれた連合軍は敗走した。
5月13日、ドイツ軍は要衝スダンを占領し、5月26日には連合軍をダンケルクの海岸に追い詰め、連合軍将兵33万8000人がイギリスへと脱出した。
6月14日、パリが陥落し、西方電撃戦はわずか1ヶ月で終了した。

ドイツ軍は手を緩めず、続いて英本土上陸作戦『ゼーレーベ(あしか)作戦』を計画。
7月、その前哨戦となる英本土制空権奪取作戦『アドラーアングリフ(鷲の攻撃)作戦』、俗に言う『バトル・オブ・ブリテン(英国の戦い)』が始まった。
ドイツ空軍とイギリス空軍の戦力差は3対1、ドイツ空軍の数は圧倒的であった。
ところが、この戦いでドイツ空軍はまさかの大敗北を喫してしまう。
主力戦闘機メッサーシュミットBf109の航続距離が短く、戦闘機の援護を得られないドイツ軍爆撃機は、イギリス本土上空で次々とイギリス軍戦闘機に落とされていった。
さらにイギリス軍の新兵器『レーダー』の活躍や、ドイツ軍の爆撃目標変更の失敗、地の利なども相まって、遂にイギリス空軍はドイツ空軍を撃退した。
これによって、ゼーレーベ作戦は中止せざるを得なくなった。

イギリス占領が夢に終わったヒトラーが次に目を向けたのは、東の大国ソヴィエト連邦だった。
ソヴィエトとは既に、独ソ不可侵条約を結んでいる。
さらに、西の英仏連合軍をイギリスに残したまま東のソヴィエトと戦争をする事は、避けるべき二正面戦争を行う事ともなる。
この事は、『ヒトラーの操り人形』と言われた従順な国防軍最高司令部総参謀長、ヴィルヘルム・カイテル元帥ですらも反対の意を表明したが、もはやヒトラーの決心を変える事は誰にもできなかった。
1941年2月、同盟国イタリアのアフリカ侵攻の不手際により、ドイツ軍北アフリカに上陸。
ドイツはヨーロッパだけでなく、北アフリカにも戦線を広げた。
さらに4月、ドイツ軍がバルカン半島に侵攻。
そして運命の6月22日、かつては盟友だったドイツ軍とソヴィエト軍との戦いの火ぶたが切って落とされようとしていた。
ドイツは西のヨーロッパ、南の地中海・北アフリカのみならず、東のロシアにまで戦線を築こうとしていたのであった・・・
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[ 2011/06/22 06:00 ] 自作戦記:東部戦線第2部 | TB(-) | CM(2)

おお!自作戦記に続きですね~!
お待ちしてました(´∀`)
前回のポーランド戦終了から、
ドイツを巡り状況も変化して、
英国を屈服させられる事なく今度は独ソ戦に突入していく、
こうして見てみると本当に戦線を拡大させていたんだなというのが、
よく分かりますね^^;
『バルバロッサ作戦』に参加した登場人物達が、
どんな運命を辿る事になるのか気になりますね~。
[ 2017/08/20 21:15 ] [ 編集 ]

>>ツバサ様

こんばんは^^
いつもご愛読頂きまして、ありがとうございます^^
ツバサさん始め皆様の応援のおかげで、ようやく第2部ができました^^
第1部のプロローグと同じく、第2部も『幕間』と言うか何と言うか、第1部と第2部の間の情勢をサラッと流しましたが、ボリューム的に、サラッとじゃ無くなってしまいました^^;
でも「こういう進展をしてこういう失敗をして、1941年6月22日には、こういう状況になっていた・・・」という時系列的な進展だけでもわかって貰えるだけで、書いた意義がありました^^
改めまして、これからも宜しく御願い致します^^
[ 2017/08/20 23:24 ] [ 編集 ]

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